ブログ開設のいきさつ

ここでは、自分がこのブログを始めた訳を少し書いてみようと思う。

 

タイトルにはいきさつ、と書いたが、別に大した話があるわけではない。

 

 僕は小さい頃から作文をよく書かされてきた。なぜかはよくわからないが、確かかなりの頻度で書いていたと思う。作文と言っても別にたいした量ではなく、小学生の使う大きなマス目のノートに2〜3ページ、当時の僕でも1時間あれば書けるようなものだった。しかも題材は何でもよく、その日遊んでいてあったことなどを書き連ねていればよかった。

 しかしその頃の僕にとってはこれが1日のうちで最も嫌なことの一つだった。机の前に座っているのも嫌な遊び盛り、ましてや宿題でもないのに何でこんなもの書かなきゃいけないんだと怒りながら、「とーーーーーーっても」「すごーーーーーーーく」「〜だなあーーーーーと思った」みたいに長音符をつなげて字数を稼いでいたのをよく覚えている。あんなので親もよく許してくれたものだ。

 

 そうこうするうちに、小学校4年生の夏休みの宿題で書いた作文が賞をいただいた。その夏、野村万作・萬斎父子の狂言の興行が地元にやってきていて、それを見にいった感想を書き連ねたものだったが、まあ内容としては何ということはない。日本の伝統芸能は型がすごく大事らしいけど上手い人のは型通りやってても生き生きして見える、とか、野村萬斎扮する蚊の妖精の動きがコミカルで面白かった、とか、ありきたりのことしか書いていないし、最後なんて書き疲れてきて「〜で面白い。」で終わる文が3つくらい連なっていた。

 よくそんな賞が取れたものだと思うが、何はともあれ初めて東京まで賞をもらいに行った小学4年生はすっかり舞い上がってしまった。「俺もしかしたら文書くの上手いんかもしれん!!」みたいなことを思うようになり、それからは文章を書くのが好きになった。ちょっと褒められて舞い上がって好きになるなんて能天気に過ぎる話だが、まあ結果オーライということにしておこう……

 

 ちょうどその頃から読書もし始め、当時はまっていた司馬遼太郎の文体を真似て宿題の絵日記を書いたりして悦に入っていた。

 そんなこんなで文を書くことが好きになった自分だったが、特に大学に入ってからは自分の好きなように何かを書くこともなくなり、何処かで何か書いてみたいと思う気持ちがあったのだろうと思う。一時期は日記をつけたりもしていたが、自分だけしか読まないものを書くことにはあまり楽しさを見出せなかったようで、長続きはしなかった。

 それに加えて、書かなくなるとやはり文章力が落ちているのが自分でもわかる。別にもともとあったとかそういうことが言いたい訳じゃなく、ただ読書とか作文といった、文章に触れる機会は昔から多かったから、せっかくだしそれを0にしてしまうのも勿体無いかなということだ。

 

 そして今日、急にブログ書いてみようかな、という気が起きてきたのでその勢いのまま作った、という訳である。要するに、文章を書くのが好きになったけど最近は書く機会もないからブログでもやってみようかな、と思ったという、それだけの話だ。だからたいしたことが書けようもないし、人の日記を覗くような感じで読んでいただけたらと思う。(ブログって基本的にそんなものなのかな?)

 

 

 そういえば途中で司馬遼太郎にハマった話が出てきたが、ちょうどその頃小学校の宿題で自分の好きなことを調べて新聞にしなさいというものが出た。今でもそうだが僕は軍艦などにも興味があり、たまたまその頃「坂の上の雲」を呼んでいたこともあって、日本海海戦の戦況の遷移を調べてまとめて提出した。その時に参考にしたのがずばり「坂の上の雲」それ自体で、調査資料として小説を選定するなど大学教員に聞かれたら退学にされそうなものだが、その当時の僕は大真面目にそれをまとめていった。

 やはり日露戦争のクライマックスでもあるため、坂の上の雲(家にあった版で)文庫本全8巻あるうちの最終巻全てが日本海海戦のシーンに使われており、非常に精緻な描写がなされていて十分記事になりうるものだったが、僕の作った新聞にはほぼ小説をそのまま写した箇所も多く司馬遼太郎の特徴的な文体がそのまま使われていたりする。

「〜であろう。」とか、「東郷は、〜った。」のような短文をさらに句点で短く切る文体があちこちに見え、この前久しぶりに実家に帰省した時にたまたま見つけて読んでいたがなかなか笑えた。稚気溢れる文章というのもいいものだなと思う。たまには。

 

 最近よく思うのだが、やはり凡人には自分の読んだことのある文章しか書けないものではないだろうか。僕の場合は小さい頃に司馬遼太郎から多大な影響を受けているうえ、明治〜昭和の作家の作品を多く読んできたため、その辺りの作家の劣化版のような文章になっているなと自分で書いていて思うことがよくある。別にそういうふうに書こうとしているわけではないのだが、そうなってしまうのだ。

 作家の方々はそれぞれ独特の世界観を持った文章を作り上げているが、やはり並々ならぬ努力と才能をお持ちなのだなと思う(当たり前だ)。自分にはそんな芸当はとてもできないし、むしろそういう作家たちから受けた影響によって自分が規定されているような観がある。それが普通なのかもしれないが。作家の方たちは、自分なりの文で、自分を表現することができるというだけでもう尊敬に値すると思う。

  

 と、思っていたら、最近読んだ坂口安吾の本の中にこんなようなことが書いてあった。曰く、小説を使って自己を表現することしかできない作家は二流であり、真の一流作家は書き終えて初めて、その小説の中に自己を見出すものなのだと。つまり真の一流作家は自己表現としての小説を書いているのではなく、何か知らないが書いていったら、書き終えた時に「あ、これは自分だ」というものを小説の中に見出すものだと言っているようだ。

 これが本当なら世の中には恐ろしい人たちがいたものだと思う。僕などは自分の言葉がないから他人の使いやすい言葉を借りているが、というか一般的に人はみんなそんなもんだと思うが、それで自分を必死に表現しようとしてもうまくいかないことの方が多いのだから。

 その才能、ちょっとでいいから分けてくれないかなあ……笑

 

 最初の記事から話があっちこっちに飛んでしまったが、今日はこの辺で筆をおきたいと思う。そろそろ試験勉強するべ……   ありがとうございました!!

 

はじめまして ばんばと申します!!

みなさん、はじめまして! 

 

ブログに遊びにきてくださってありがとうございます!

 

僕は現在、大学にて航空宇宙工学を学んでいる東京在住の20歳男子です。

小さい頃からとても飛行機が好きで、ずっと憧れつづけ、なんとかやりたかった勉強ができる環境に飛び込むことができました。

また美術鑑賞も大好きで、週末は都内のいろんな美術館に出かけて行ったりもしています。このコロナ禍の状況ではほとんど何処にも行けていませんが……

 

このブログでは、そんな僕が大好きな飛行機についての他愛無いおしゃべりや、美術展の感想、また読んだ本の感想やふと考えたことなど、その時その時書きたいことを気の向くままに綴っていきたいと思います。

本当にふと気が向いて開設したものですし、元来飽き性なところもありますので、なかなか頻繁に更新することは難しいかもしれません。内容もはっきりしたテーマなどなく、ほとんど日記のような、とりとめもないことばかりになってしまうと思います。書いていくうちに最初書こうとしていたことから逸れていってしまうこともあるでしょうし、また各分野についてそこまで深い知識があるわけでもないので、表層的なことしか書けないことも多いかもしれません。

 

そんな訳のわからないブログになってしまいますが、どうかお付き合いいただけると幸いです!!よろしくお願いいたします。

 

さて、次の記事ではどうしてこのブログを始めようと思ったのか、について書きたいと思います。

この記事は最初の挨拶ということもあり、です・ます調で書きましたが、である調の方が書き慣れており、また書く内容にもあっているかなと思うので、次の記事からは基本的にである調で書かせていただきたいと思います。どうぞよしなに〜〜