美術館好きです。

 前回の更新からとんでもなく時間が経ってしまった。しかも前回は紫電改の解説の続きを書くといって終わっておきながら、全く別のトピックで今書き出そうとしている。興が乗ったらふらっと書き始め、やる気がなくなればぱたっとやめてしまう今のようなスタイルでは必然的にこうなってしまうのです…。紫電改についてはまた稿を改めようと思っている。ごめんなさい…。

 

 美術館が、とても好きだ。あくまで趣味の範囲でしか知らないし、本当によくご存知の人たちからすれば苦々しい、または痛々しい限りであろうが、それでも周りと比べればそれなりに観ている数は多いと思うし、楽しめてもいると思う。

 これは間違いなく父親の影響である。父は高校でも美術部に属していたそうであり、今でも画家さんの友人も(ごく少数だが)いる。老後に向けてなんだか知らないが製作もし始めるようだ。そんな父親であるから、僕含め家族は小さい頃からよく美術館を連れ回された。母親もそういった場所は好きであるようで、今でこそ忙しくなってあまり家族で行くこともなくなったが、当時はそれなりに楽しみにしていたようだ。週末に近くの美術館に行ったりすることはよくあったし、旅行先でもその地域の中心的な美術館には足を運ぶことが多かった。というか、旅行の目的が美術館であることも多かった。さぞつまらない思いをしたであろう、と思われる方がいるかもしれないが、当時はそれが普通だと思っていたから別になんとも思わなかった。誰が描いたとかいつ頃の画だとかそんなことはあまり分からぬまま、これは何が描いてあるとか何かちっとも分からないとか、色が綺麗とか汚いとか、そんなことを思いながらぼーっと観ていたような気がする。

 父親から絵を観ながら多少の講釈は受けたし、NHKの「日曜美術館」という番組を父親と観たりしていたから(興味があったというよりは、この時間はピアノとか宿題のことを母親から言われなかったので楽だった)、そのうちに多少の知識はついてくる。知識というよりも、この人はこんな感じの画を描く人、といったぼんやりしたイメージがついてきた、というべきか。今でもそのイメージの上に多少の知識を載せて飾り立てているようなものだから、その頃とあまり変わっていないのかもしれない。それでも案外観られるものだし、作者を隠して画だけを観て画家を当てるなんてこともできるようになってくる。色づかいとか筆致の特徴を覚えていればよく見る有名な人の画くらいは誰でもわかるようになるものだと思うし、多く観ていればいやでもわかるようになるというものだ。そんなこんなで次第に自分だけでも楽しめるようになってくるし、自分の好みも出てくる。そうやっていつの間にか(東京に出てきてからは特に)一人で美術館に足を運ぶことが多くなった。前々から予定を立てて行くというより、朝起きて「あ、行きてーな」と思ってふらっと遊びに行くという感じである。

 特に美術について集中して知識を得たことがあるわけではないから、絵のキャプションとか図録から得る概要以上の体系的知識はない。だから好きな画家について語ったりすることはそんなに得意ではないし、語ろうとも思わない。ただいつも、目の前の画から受けた印象を言語化したり、しなかったり、しているだけである。観方なんてのも自分が観てきた中から編み出した経験則、みたいなものの上をなぞって観ているだけだし、あ〜この色綺麗だなあ、どうやって出してるんだろ、とか、この形なんかいいわ、とか、馬鹿みたいなことを考えているにすぎない、と思う。

 よく浮かんでくるのは、「静かな画」かそうでないかというイメージである。これは描かれている対象とは関係がない。騒がしい大群衆を描いていても静かな画もあるし、静まり返った神秘的な光景を描いていても描かれているものの生気がとても大きな音を立てているものもある。

 例えば、僕の好きな画家にギュスターヴ・モロー(1826-1898)というフランス人画家がいて、彼の代表作に「出現」という画がある。聖書の一節を描いたもので、ある祝宴でサロメという女性が領主ヘロデの前で舞踏を披露し、その褒美になんでも好きなものをと言われて洗礼者ヨハネの首を所望したため、ヘロデが彼の首を切り落とさせてサロメのところに持ってきたというなかなかに凄絶な場面を描いたものである。この主題は昔から何度も描かれているものであるが、モローの「出現」では斬られたヨハネの首が切り口から血を滴らせながら宙に浮き、サロメを睨み付けているのが特徴である。この画は祝宴での一コマを描いたものであるし、かなりショッキングな場面をショッキングに描いているし、なんとなれば首が光って血を流して浮いているし、当然描かれているのは騒がしい場面であろう。しかし僕はこの画からとても静かな印象を受ける。人物たちはその場で凍りついているように思えるし、また凍りついていてくれた方が「いい」感じがする。この画を観ていただければ皆さんにもこの感覚はわかっていただけるのではないだろうか??

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ギュスターヴ・モロー 「出現」 

 静かな、というのは昔の白黒写真を見ている時の感覚に近いものがあるような気がする。自分とは切り離されたもう存在しない何かを見ているような感覚、とでも言おうか。何がそういう印象を与えるのかは画によって違うだろう。色づかい、光の描き方、時には描いている主題が大きく影響するかもしれない。しかし個人的にはあまりそういう分析をしたくはない。別になんでもいいじゃないか、と思う。僕がそういう印象を受けて楽しんだ、ということが僕にとっては大事なのだ。そういった静かな画の場合は、その画から受けた印象をただ噛み締めて味わう、といったような楽しみ方をすることが多い。印象に身を委ねる、とでも言えばそれっぽく聞こえるであろうか。

 一方、静かでない画を観るときには、自分でなんらかの物語を画から作り上げてその中に入って楽しんでいることが多いように思う。要はいろいろ空想を膨らませて楽しんでいるということだ。その画の場面の温度と光の当たり方が、特にその空想の中で重要な役割を担うことが多いかもしれない。この二つをうまく想像できれば、描かれた人々の心情をうまく自分なりに解釈できる、ような気がする。

 要は、画を見るときは色とか形が綺麗だなあと思って、そこからある印象を得て、それに浸ってみたり掌で転がしたりして楽しんでいるというだけのことだ。こいつ美術館好きとか言ってるくせに大したことしてねーなと思われる方も多いだろうが、まさにその通りである。

 こんなふうに、未だかつてしっかりした知識を持って分析的に画を観たことがないので、一般に絵画論と呼ばれるものが客目線からの鑑賞にどの程度必要なのか、少し懐疑的である。確かに描画の技法が分かれば画家たちの比較や一人の画家でも時期による描き方の違いなどを比較することなどはできるし、それはとても面白いことだと思う。それにその当時の画家が置かれていた環境や心境が分かればこれはもうとても面白い、ことも多い。そういう方面からの考察は何が描かれているのかを考えたい時にはなくてはならないものだと思う。しかし、である。こういった考察は本当にいつも必要なのか?いつもこの画の裏には何が表されているのか、などと考える必要があるのか?

 研究者にとっては必要であろう。それが研究ということであるから。しかし我々一般人は、平たく言えば娯楽として観ることがほとんどだ。そういった時には何よりもまず、自分が受けた印象を楽しむのが自然ではないかと思う。もちろん、印象を得られるようになるためにはそれなりの数の作品を見る必要があると思うし、そういった意味での「勉強」は必要だろう。しかしそれはあくまで最低限の知識を持った上で自分が抱いた感想(わからん、でもキモい、でもなんでもいい)を噛み締めることによってなされるべきではないかと思う。それがきっと一番楽しい観方でもあると思う。そうやっているうちにそれなりに自分なりの観方ができてくるものだ。そうなった上で、講義や本で解説的知識を取り入れることはとても有益だと思う。実際大学1年の時に受けた絵画論の講義は、こんな観方があるのか、という驚きに満ちていてとても楽しかった。自分では気づかなかった絵画のポイントを知ることができるし、自分の考え方と比べて新しい視座を発見できたからである。しかし最初から本を読んで他人様の「解釈」「観方」を取り込んでしまえばどうであろうか。これはもうその観方に囚われること必定であるし、「こういう風に観なければいけない」という強迫観念にすら囚われ、必要以上に考えながら鑑賞することになりかねない。そうなればもう美術鑑賞は苦行になる。少なくとも僕はそんなに考えながら鑑賞したくない。観ているうちに自然に自分で考えている、というのが楽しいのである。

 知識がなければ楽しめないと思っている人がいるとすれば、ぜひ一度何も考えずに美術館に行ってみて欲しい。例えばそれぞれ好きな服のコーデとか色の組み合わせがあると思う。自分の好きな服を探して見るのは楽しい。それと同じように、この色の感じいいなとか、この組み合わせ好きだとかいうふうに観ていただければいいのではないかな、と思う。

 大体僕も、小さい頃何も知識がない時には、クロード・モネのことをずっと「蔵人もね」だと思っていた。もねって漢字でどう書くんやろ、蔵人で画家なのになんで平安時代とかの他の日本の絵にはこの人と同じようなのがないんやろ、とか思いながら画を観たりしていた。そんなんでも十分楽しめるものなのである。

 そうやって楽しめるようになったら、もしそうしたければ知識をつけていけばいいと思う。観に行く前にはあまり何も調べず、帰ってきてから観たものについていろいろ調べてみるのもいいかもしれない。自分では見えなかった細部が見えてきてまた楽しみが広がるものだ。そういった観点では、近年増えつつある(らしい)写真を撮れる美術館というのはとてもいいと思う。観賞後に、とった写真と調べたことを付き合わせてみたりすることができるからだ。東京に来てから美術の写真を撮れるところが多いことに驚いたし、いいなと思ったり有名だったりするものはよく撮るようになった。先日も六本木の森美術館に「STARS展:現代美術のスターたち-日本から世界へ」という現代美術の展覧会を見に行った際、村上隆の「My Lonesome Cowboy」「HIROPON」という超有名な作品があったので写真を撮ってインスタに載せたら、友人がものすごく引いていた。確かにあの作品はかなり物議を醸したものだし、観る人によっては不快感を与えるかもしれないし、有名だからミーハー的根性であげたけど別に好きなわけじゃないし、あげなきゃよかったかなあ…… どんな作品か気になる方は、画像検索は自己責任でお願いする。性的表現が含まれている、というより性的表現そのものみたいな作品で、結構ヤバい。

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https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/stars/

 さて、この辺でそろそろ筆を置こうと思う。近頃はまた緊急事態宣言が出て、美術館も閉館するところが増えるだろうし、開いていても日時予約制になっていて思い立った時にふらっと行くことが難しくなるかもしれないな……