ヨルシカにどハマり

 好きな音楽について。今日はざっくばらんに。

 

 中高の同期に聞けば、たぶん全員が僕といえばB'z、と返すと思う。そのくらいB'zが好きだし、1番聴いてるアーティストだ。けど今日は、B'zの話じゃない。


 去年の秋くらいからずっとヨルシカにハマって、取り憑かれたように聴いてる。今更?って感じがしなくもないけど、好きになる時にはどうしようもなく好きになるもんだよね。

 それまでB'zとかワンオクとか、男性ボーカルでゴリゴリのバンドサウンドの曲ばっか聴いてきて、女性ボーカルの曲はほとんど聴いてこなかった。その反動もあるのかもしれないな。


 よくヨルシカと似てると言われるのがYOASOBIとかずとまよだと思うけど、僕はそんなに似てるとは思わない。それぞれ好きだけどやっぱヨルシカがいいなと思う。たぶんそれぞれのファンがそう思ってるだろう、しっかり聴き込めばそれなりに違いはあるもんだし、違うから別々に売れてるんだろうし。僕はYOASOBIとずとまよはヨルシカほど聴き込んでないから(ヨルシカだって語れるほどじゃないかもしれないが)、この二つの違いについては喋れない。


 最初は、suisさんの声がとても綺麗だなと思った。透明感そのもの、みたいな歌声が、それまで聴いてきたアーティストの声と全然違って新鮮だった。そして、曲の物語が、とても身に沁みて感じられ、どんどんハマっていった。程度はもっとずっと軽いけれど同じような経験をしたものもあったし、同じような思いを抱いたこともあったし、それでなくても何故かとてもよく主人公の心中を想像できた。もちろん僕なりに、ではあるけど。


 僕がヨルシカをこんなに好きな理由は、suisさんの歌声がとても空っぽに聴こえるからじゃないだろうか。決して悪く言っているわけじゃない。ご本人もどっかのなんかのインタビューでそんなようなことを仰ってたし、きっとそれがヨルシカの価値に繋がっているんだと思う。空っぽというのはつまり、「suisが歌ってる」という感じがしないということだ。ボーカルが誰かということを全く気にせずに聴けるというか、曲の前にボーカルが出てこないというか。例えばB'zの曲は全部、稲葉さんが歌ってる感じを全面に押し出してくるし、その「稲葉さん感」が彼らの唯一無二の価値を作る一つになっている。

 ヨルシカはその逆なのだと感じる。顔出ししてないことも大きいのだろう。けれど、それ以上に、suisさんが自分の感情の発露として歌ってる、という感じを与えないことがあるんじゃないだろうか。彼女は空っぽで、それゆえに何にでもなれる。彼女自身が何か持っているわけじゃないから、そこにn-bunaさんの作るどんな世界でも入れて、見事に歌い上げることができる。だから、その曲の主人公の感情が、suisさんを介さないかのようにダイレクトに訴えかけてくる。suisさんはその喉を歌の主人公たちに貸して、彼らの感情をそのまま伝えている。そう感じさせるほど様々に歌いわけることができる。だから歌の主人公に自分を重ねれば、suisさんの歌をまるで自分が歌っているかのように聴くことだってできる。空っぽであるが故に何にでもなれるということが、きっと彼らの強みなんじゃないだろうか。ボーカルは決して前に出てこない、彼女自身の存在を感じさせることはないけれど、そういう風に歌うことができるのは彼女だけなんだろう。今までのバンドとは逆のアプローチで、きっと唯一無二の存在になっているのだ。


 こんなことを、ふと考えた。